第9問の答え
【正解】 | 今の『JR高崎線』 |
日本鉄道会社は、第1区線として上野~高崎間の敷設を開始、明治16年(1883)に熊谷駅まで仮開業、翌年高崎駅まで開通しました。
当初政府は、官設鉄道として中山道ルートをとって京都まで鉄道を敷く計画でしたが資金不足のため、代わって民間の日本鉄道会社が高崎まで担うことになりました。その先は官設鉄道とする計画でしたが、碓氷峠を越える技術と時間などがネックとなり、明治19年(1886)に断念されて東海道ルートに変更されました。…もし計画が実現していたら、東海道新幹線ではなく「中山道新幹線」が開通していたかも?
ちなみに、錦絵の中心は今のJR上野駅近辺で、すぐ後ろには桜が咲いた今の上野公園と不忍池が描かれています。背景に目を移すと「川口」・「浦和」・「大宮」・「アゲヲ」(上尾)・「桶川」・「コウノス」(鴻巣)・「熊ヶ谷」(熊谷)など、埼玉県の町の名前も見えています。さらにその手前には埼玉県出身の渋沢栄一ゆかりの地「王子」の地名が見え、飛鳥山や製紙工場の煙突も描かれています。メインの舞台は東京上野ですが、じっくり見ると埼玉にも縁の深い作品ですね。
当館所蔵 従東京上野至武州熊ケ谷蒸気車往復繁栄之図(背景部分拡大図)