埼玉県立歴史と民俗の博物館では令和7年7月12日(土)から、企画展「名所 大宮ー鉄道のまち・公園のまちー」を開催します。
令和7年(2025)は、明治18年(1885)に大宮駅(大宮停車場)及び大宮公園(氷川公園)が開業して140周年の節目に当たります。
大宮の地は、その名の通り武蔵一宮氷川神社を中心に古くから人々が集まり、江戸時代には宿場が設けられて栄えました。明治時代になり、今から140年前に大宮に駅と公園が誕生すると、大宮は神社、鉄道、公園を中心に、鉄道のまち、東京近郊の観光地、文化・スポーツの中心地として発展し、現在まで親しまれてきました。
本展では、資料と古写真などから、氷川神社、大宮駅、大宮公園を中心に地域の歩みを振り返ります。
会期:令和7年7月12日(土)~8月31日(日)
時間:9:00~17:00(観覧受付は16:30まで)
休館日:月曜日(ただし令和7年7月21日、8月4日、8月11日は開館)
埼玉県立歴史と民俗の博物館 特別展示室
一般400円、高校生・学生200円
※団体料金(20名以上)は、一般:250円、高校生・学生: 150円。
※常設展観覧料を含む。
※中学生以下、障がい者手帳等をお持ちの方(付添1名を含む)は無料。
※「ぐるっとパス」で観覧できます。
江戸時代までの大宮
「大宮」という地名は氷川神社に由来します。史料によっては氷川神社が「大宮」と呼ばれていたことも確認できます。本展ではまず氷川神社から地域の歴史を紐解きます。
氷川神社は長い歴史を有し、最も古いものでは、8世紀の記録でその名を確認できます。江戸時代には神社は徳川氏から社領の寄進を受け、広く知られる神社として多くの人が訪れています。氷川神社の門前町であった大宮のまちは、徳川氏が五街道の整備を行ったことで、中山道の宿場町の一つとなって栄えました。
明治維新と大宮
明治元年(1868)、江戸へ入った明治天皇は、氷川神社に行幸しました。氷川神社は天皇の勅使が派遣されて祭祀が行われる神社となり、また伊勢神宮に次ぐ官幣大社という社格を与えられました。
一方、大宮のまちは明治維新を迎えると宿場町としての役割を失いました。また、近代地方制度整備のなかで、明治2年(1869)には大宮宿に大宮県(主に現在の埼玉県中央部や東京都北区、豊島区などの範囲の県)の県庁を設置する動きがありましたが、県庁所在地は浦和に変更されました。これらにより明治初期の大宮は町勢を失い、人口も減少していました。
大宮駅と大宮公園の誕生
こうした状況が変化する契機となったのが、鉄道の建設でした。明治18年(1885)3月18日、大宮駅が開業し、高崎線と東北線の分岐点となると、大宮には鉄道工場や各鉄道事務所、さらには鉄道を利用する製糸工場や運送業者などが集まるようになりました。鉄道関係の労働者が宿舎に多く住むことになったため、大宮の地域経済や文化は鉄道の影響を大きく受け、大宮は鉄道のまちとなっていきます。
大宮駅開業と同時期、地元の人々の請願によって大宮公園も誕生しました。明治時代の大宮公園は今とは異なる雰囲気でしたが、うっそうとした松林のなかに風情のある料亭、旅館の並ぶ大宮公園は広く知られるところとなり、氷川神社とともに多くの人が訪れる名所となりました。
東京近郊の名所へ
昭和7年(1932)、それまで汽車であった赤羽・大宮間に電車が走るようになります。電車で東京まで40分程度で行けるようになり、運転本数も倍増したため、大宮は首都東京への通勤・通学圏内となりました。
同時期、県は林学博士本多静六らに依頼して、都会の人々が休暇に訪れる郊外の公園を目指して公園改良を進め、レジャー施設が充実して公園の雰囲気は一変しました。
こうした動きにより、昭和初期の大宮のまちでは公園や近隣の名勝を名所として紹介するパンフレットや絵葉書を盛んに作成し、観光したうえで大宮に居住してもらおうという東京向けのプロモーションを盛んに行いました。昭和初期の大宮は、「理想郷」とも称される観光地でした。
1 武州一宮氷川絵図
氷川神社の絵図ですが、鳥居の西に「古ノ木曽道」と記載があります。中山道(木曽道)は、寛永5年(1628)に直線の道として付け替えられており、それ以前は氷川参道付近を通っていました。本図から、氷川神社西側にかつての中山道が通っていたことが想像できます。
天和3年(1683) 岩井隆興氏所蔵、さいたま市立博物館寄託
2 東京高崎間鉄道略図
明治14年5月に作成された川口・前橋間の実測図です。本図では、大宮宿の西側に「ステーション」と記載があり、この時期すでに大宮に駅を設置する計画があったことがわかります。
明治14年(1881)5月 当館蔵
3 絵葉書 大宮停車場
当時の大宮駅を南側から撮影した写真です。ホームは3本で、奥には跨線橋が見えます。写っている写真は東北本線の下りで、よく見ると奥に機関車の煙が見えます。また、まだ電車は走っていないため、電線がありません。
大正時代 個人蔵
4 武蔵一ノ宮氷川公園ノ図
明治17年(1884)当時、県の依頼で大宮公園を設計した佐々木可村の図面を写したものです。佐々木は当時、大隈庭園や飛鳥山の旧渋沢庭園に関わった庭師とされています。園内を幅2~3間(約3.6~5.4m)ほどの道路が縦横に走り、それによって園内が細かく区画されているのが特徴です。また、園内には、四阿のような建造物のほか、管理事務所兼休憩所「含翠楼」や料亭「藤の戸」(後に石州楼と改称)と思われる建物がみえます。
大正初期 みどりの図書館東京グリーンアーカイブズ蔵
5 埼玉県氷川公園改良計画図
本多静六らが作成した大宮公園の計画図です。この計画は、都市化と交通機関の発展により、人々が休暇に都市を離れて郊外に出かける時代となったことに対応し、大宮公園が旧来持っている豊かな自然を保存するとともに、スポーツ、レジャー設備の充実を図るというものでした。そのために公園と氷川神社をはっきりわけること、北側の水田を埋め立てて運動場や劇場を設けること、園内の料亭、旅館を移設して跡地を公衆のための運動場とすることなどを基本方針としています。
大正10年(1921)5月 みどりの図書館東京グリーンアーカイブズ蔵
6 大宮鳥瞰図
大宮保勝会(町役場に設置された町のPRを行う団体)が作成したパンフレットの表面に印刷された、鳥瞰図絵師吉田初三郎による鳥瞰図です。当時の町の様子が細かく描かれています。鉄道では、東京からは電車が、北へは汽車が走る様子が描かれている点などが注目できます。駅舎はまだ古い木造のように見えます。
昭和9年(1934) 当館蔵
企画展関連事業①
鉄道整備の現場を見にいこう!大宮工場見学 ※事前申込制、抽選
大宮駅とともに大宮を「鉄道のまち」へと発展させてきた大宮工場(現 東日本旅客鉄道(株)大宮総合車両センター)を見学します。
開催日時 | 令和7年8月13日(水) 13:30~15:00(予定) |
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会 場 | 東日本旅客鉄道(株)大宮総合車両センター ※現地集合 |
講 師 | 東日本旅客鉄道(株)大宮総合車両センター 総務課 職員 |
対 象 |
小学校3年生以上 ※工場内での見学では、ヘルメットを被る必要があり、1時間程度被り続けることが可能な方を対象とする。 ※段差があるため、車椅子での参加はできません。 |
定 員 | 20名 |
費 用 | 無料 |
申込方法 | こちら(埼玉県電子申請・届出サービス)からお申し込みください。 |
申込期間 | 令和7年7月1日(火)~7月31日(木) |
問い合わせ先 | 048-645-8171(埼玉県立歴史と民俗の博物館 特別展示・広報担当) |
企画展関連事業②
みんなの名所 大宮 フォト&エピソード
企画展「名所 大宮―鉄道のまち・公園のまち―」関連事業として、本展で取り上げている氷川神社、大宮公園、大宮第二・第三公園、大宮駅周辺地域の思い出エピソードや写真を募集し、展示室に展示します。貴重な古写真やエピソードから、お花見の写真、鉄道の写真など、時代も問いません。
エピソードのみの投稿も可能です!みなさんの「名所 大宮」を教えてください!
詳細はこちらへ(「みんなの名所 大宮 フォト&エピソード」専用ページ)
企画展関連事業③
ワークシート配布「大宮自由研究」
大宮に関する様々なテーマについて、展示内容や、さらに関連施設(鉄道博物館や大宮公園内の各スポットなど)への訪問を促す設問形式のワークシートを配布します。
企画展関連事業④
学芸員による展示解説
開催日時 |
令和7年7月20日(日)、7月27日(日)、8月3日(日)、8月24日(日) ※各日ともに13:30~14:00 |
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会 場 | 当館 特別展示室 |
解 説 者 | 当館学芸員 |
費 用 | 企画展観覧料 |
参加方法 |
事前申し込み不要。 |
埼玉新聞社
テレビ埼玉
FM NACK5
ミュージアムヴィレッジ大宮公園連絡協議会
東日本旅客鉄道(株)大宮総合車両センター
◆東武アーバンパークライン(野田線) 大宮方面から:大宮駅から2駅、乗車約4分
◆駐車場(大宮公園との共用):15台 ※周辺駐車場も公園利用者のお客様で混雑しますので、可能な限り公共交通機関をご利用ください。 ※団体バスでお越しの場合は事前にご連絡ください。 |
埼玉県立歴史と民俗の博物館 特別展示・広報担当
〒330-0803
さいたま市大宮区高鼻町4-219
TEL: 048(645)8171
FAX: 048(640)1964