このページは、「2025年度ブログ」のページです。
埼玉県立歴史と民俗の博物館のスタッフが、博物館のイベントや大宮公園の様子、日々の業務から感じたことなどを皆様にお伝えしていきます。各スタッフが自分の言葉で語りますので、ややつたない表現になることもあるかもしれませんが、大目に見ていただければ幸いです。
企画展「名所 大宮」みどころ紹介④ 大宮は観光地? |
大宮駅開業・大宮公園開園140年企画展「名所 大宮―鉄道のまち・公園のまち―」について、より展示が楽しめるようにポイント解説します。
今回はまず第3回の続きとして、大正10年(1921)、埼玉県の依頼を受けた東京帝国大学林学部の本多静六博士が大宮公園の整備拡張計画である「埼玉県氷川公園改良計画」を作成したところからはじめます。
本多博士は公園を改良する理由として、都市と交通機関の発達により東京の人々は余暇に都会を離れ、郊外の豊かな自然を求めて小旅行にでかけることが増えたことを挙げ、行楽地として大宮公園に東京市民を誘致することで大宮町の発展が期待できると述べています。
埼玉県氷川公園改良計画図【写真パネル】
そしてその具体的な方策として、公園を拡張し、氷川神社との境界を明確にして、大きな運動場や池を設けることなどのほか、菓子の提供や広報を担う保勝会の設立などを挙げました。計画の多くは昭和時代初期にかけて実施され、昭和15年(1940)に陸上競技場兼双輪場が完成して、現在の公園の原型ができました。
昭和9年(1934)完成の野球場【展示写真45】
全国的にみると、大宮公園の改良が進んだ大正時代から昭和時代初期にかけては、交通網の整備が進み、私鉄を中心に利用者獲得競争のなかで沿線の観光地開発が盛んに行われていました。一方、都市部ではいわゆるサラリーマン層が増加し、余暇に郊外に遊びに行く過ごし方が定着しはじめる時期でもありました。県内でも、例えば大正11年(1922)に秩父鉄道会社によって運動場やテニスコートを備えた長瀞遊園地が整備された例などがあります。大宮公園改良もこうした時代の流れに沿うものだと考えられます。
大宮の場合、公園の整備以外にも、同時期に町にとって大きな変化が起こりました。
それは、まず大宮の都市化が急激に進んだことです。明治40年代には大規模な製糸工場がいくつも駅周辺にでき、大正12年(1923)の関東大震災後には有名な盆栽村をはじめとして大宮周辺に多くの人が移住しました。こうした急激な人口増に対応するため、日進や三橋などの地域では宅地化に向けた土地の整理が進められました。また、人口増への対応として学校などの公共施設の増設や上下水道などのインフラ整備が進められましたが、これらによって町の財政はひっ迫しました。
そして、第1回で触れたように、昭和7年(1932)には東京との間に電車が走るようになり、東京へのアクセスがぐっと向上します。これにより、大宮の人々は東京へのスムーズな通勤・通学が可能になり、大宮はいわゆる首都圏の仲間入りを果たしました。
こうした状況で、大宮の人々は東京近郊の観光地・住宅地(ベッドタウン)として大宮の町全体のPRを行うようになります。大宮公園改良計画にもあった大宮保勝会が昭和6年(1931)に設立され、駅前に案内所を開き、名所地図入りのパンフレットや絵葉書を発行しました。
例えば大宮保勝会発行のパンフレット「電化の大宮と其近郊」では、住宅地と名所の紹介があわせてなされており、観光がてら視察し、気に入ったら大宮に移住することを勧めています。
また、例えば博物館の東側、産業道路沿いに建つ「寿能城址」碑が昭和6年に建立され、いわゆるご当地ソングとして「大宮おどり」が昭和8年(1933)頃に作成、天皇の行幸にあわせて大宮駅舎を大改修するなど、観光地としての整備の痕跡は今でもみることができます。昭和9年(1934)には野球場完成を記念した一大イベントとして、メジャーリーガーを招いた日米大野球戦の一戦を開催しています。
「電化の大宮と其近郊」【展示資料104】
第1回で紹介した大宮鳥瞰図も、このような流れで作成、頒布されたものです。同図では寿能城跡や氷川神社などの名所に加えて競馬場、野球場など新しい名所が紹介され、また商店や病院、銀行、学校なども書かれているのは、観光客と今の言葉でいう移住者の誘致が一体となっていたためでした。大宮鳥瞰図では大宮のことを「帝都郊外唯一ノ理想郷」と称しています。様々な名所、旧跡と駅周辺の産業、商業、そして種鶏場や盆栽村、桜草などからうかがえる気候の良さ、これらを地域の魅力として発信し、実際に都市として大きく発展した、というのが昭和初期以来の大宮の町のイメージの一面といえるのではないでしょうか。
戦後も大宮は東京のベッドタウン兼近郊観光地として知られ、紹介されていました。サッカー場など新たなスポットも誕生しています。しかし、高度経済成長期、交通機関のさらなる発展や大宮自体の都市化、宅地開発による自然資源の減少などにより、昭和初期以来の観光地としての町のイメージはすっかりなくなってしまいました。展示している戦後の航空写真を見ると、昭和初期のパンフレットなどで確認できていた東西の田園地帯にも住宅地が大きく広がっていったことがわかります。戦後の開発の中で蛍や桜草は失われていきました。
そのため、かつての大宮のすがたは意外に思えるかもしれませんが、本展で紹介している当時の資料や歴史的な経緯から、地域の魅力を再発見できたらおもしろいと思います。
展示では、個別の名所スポットも細かく紹介しています。こんなものもあったんだという発見があれば幸いです。残りの会期は短いですが、ぜひ御観覧ください。
令和7年8月22日 真もんじろう
企画展「名所 大宮」みどころ紹介③かつての大宮公園 |
大宮駅開業・大宮公園開園140年企画展「名所 大宮―鉄道のまち・公園のまち―」について、今回は明治から大正時代の大宮公園について、より展示が楽しめるようにポイント解説します。
大宮公園も、大宮駅の開業と同じ140年前に誕生しました。
明治維新後、政府は欧米の影響で日本にはそれまで存在しなかった概念である「公園」を全国に設置することとし、各府県に対して名所・旧跡を公園候補地として選ぶよう指示しました。これにより、県内では浦和の調神社境内などが公園となりました。
こうしたなか、大宮宿周辺の人々が氷川神社の奥山を公園にしたいと県に対して請願しました。氷川神社奥山は明治初年に政府によって官有地とされていました。県は請願を受けて内務省、農商務省に公園開設を伺い、認可を得て明治18年(1885)9月22日に「氷川公園」が開園しました。公園開設は、大宮宿の人々が駅の開業と合わせて町勢振興をはかろうと行ったものと考えられています。
明治32年(1899)の大宮公園図面【パネル展示】
開園当時の大宮公園は現在よりも小さく、主にボート池より南側が範囲でした。公園内は道路によって区画され、それぞれ民間業者に貸与されていました。これは、借地料を公園の維持管理費に充てるための措置で、これにより公園には園芸業者のほか、旅館、料亭が参入しました。
当時の公園の特徴のひとつは、もとの奥山の景観であり現在にも引き継がれている高い松林です。明治33年(1900)の公園樹木調査の記録(展示資料85)によると、園内には1,900本を越える松があり、園内の樹木の8割を占めていました。そのため、松林のなかに腰かけや四阿(あずまや)、また旅館、料亭の建物があるというのが当時の公園のイメージだと思われます。
氷川公園の景観【展示写真25、29】
一方、現在松とともに園内の景観をなしている桜に注目してみてみると、今とは少しちがった公園の景色もみえてきます。上記の調査に登場するのは松のほかに杉、桧、もみ、栗などですが、桜については記載がありません。では、明治30年代に桜はまったくなかったのかというと、実はそういうわけでもなく、明治31年(1898)の別の調査からは旅館の周辺や公園入口に計100本ほどの桜があったことも確認できます。その多くは、現在の児童遊園地、小動物園付近にあり、鉱泉浴場を持つ旅館として知られていた「万松楼」の周囲にあったようです。
その後、明治30年代には公園の西側に桜が50本が植樹されるなど次第に桜が増え、大正、昭和期には桜の名所としても紹介されるようになっていったと考えられます。また、園内には梅林やツツジ園の広がる区画もありました。現在の白鳥池付近には大きな溜池があり、屋形船の営業が行われたほか、湖畔には茶屋もありました。
県では明治34年(1901)に公園のパンフレットを作成して公園のアクセスや施設の利用方法、学生の交通割引の紹介などを行なって来園者の誘致に力を入れました。
埼玉県が作成したパンフレット【展示資料87】
こうした当時の大宮公園には、学生をはじめ多くの人が訪れました。俳人として知られる正岡子規が学生時代、試験勉強のために大宮公園の万松楼を訪れ、夏目漱石ら友人も呼びよせて公園を満喫し、「試験の準備は少しもできなかった」(正岡子規『墨汁一滴』)というエピソードは有名です。
開園から20年以上が経過した明治38年(1905)や明治44年(1911)には、県議会において公園に関する意見が出されるようになります。これらの意見書によると、児童生徒の遠足が増えているが、園内は運動場よりも旅館、料亭が多く子どもたちに失望を与えていることや、公園の来園者が年々増加している(外国人の観光団は必ず氷川公園を訪れるともあります)のに対して公園の整備が追いついておらず、荒れ地が目立つようになっているという問題提起がなされています。
公園設備拡張についての意見書【展示資料98】
こうした動きを受け、大正時代に入ると公園改良計画が策定されました。昭和時代に入って現在も公園の主要スポットとなっている野球場やボート池、遊園地などの造成が行われ、開園以来の公園の雰囲気は一変することになります。
今回の企画展は、拡張整備以前の公園の地図、絵図や古写真を数多く展示しています。当時の情景を思い浮かべながら、現在の公園を散歩するのもおもしろいと思います(まだとても暑いので、ぜひ博物館で休憩をしてください)。
ところで、公園の名称についてはよく質問があります。公園が公式名称として「大宮公園」となったのは戦後の昭和23年(1948)です。それまでは、開園以来「氷川公園」という名称でした。戦前の地図でも「氷川公園」と表記されている場合がほとんどです。一方で、通称として「大宮公園」という呼び方もなくはなかったようで、わかりやすい例として、昭和4年(1929)に北総鉄道(現東武アーバンパークライン)が粕壁・大宮仮駅間で開通した際に公園北側に設置された駅が「大宮公園駅」だったというのがあります。
公園の拡張整備を含めた昭和初期の動向は、次回に取り上げます。
令和7年8月21日 真もんじろう
企画展「名所 大宮」みどころ紹介② 鉄道のまち 大宮 |
大宮駅開業・大宮公園開園140年企画展「名所 大宮―鉄道のまち・公園のまち―」について、今回は鉄道とまちの歩みについて、より展示が楽しめるようにポイント解説します。
今から140年前の明治18年(1885)3月16日、大宮駅(大宮停車場)が開業し、2年前に開業していた日本鉄道第一区線(現JR高崎線)が停車するようになりました。同年7月には、第二区線(現JR東北本線)が大宮で第一区線と分岐して宇都宮まで開通しました。この路線は、明治24年(1891)には最終的な到達地であった青森まで全通します。
大宮に駅を設置することを計画した測量図【展示資料42】
かつての大宮駅【展示写真17】
上野・青森間が開通する前後には、水戸鉄道(小山・水戸間)、両毛鉄道(小山・前橋間)、旧中山道幹線鉄道(高崎・直江津間)なども開通しています。こうして、大宮駅は東日本の主要都市へアクセスしやすい鉄道交通の要衝となっていきました。
また、日清戦争後の明治29年(1896)頃には私鉄建設ブームが起こって県内でも80近くの路線が計画され、大宮と県内外の主要都市を結ぶ路線も多数考案されていました。なかには県内の東西を結ぶものがあるなど、現代の私たちからすると、あれば便利だったと感じる路線も含まれていましたが、いずれも実現には至りませんでした。
川越から船橋を結ぶ川船鉄道計画路線図【展示資料66】
この間の大宮町の人口をみてみると、明治20年代をとおして3,000~3,300人ほどで推移しており、意外と伸びていません。一方で大宮駅の利用者(1日の平均乗降者)は明治24年492人、26年512人、28年740人と少しずつ増加しています。
こうした状況を大きく変化させたのが、明治27年(1894)の大宮工場開設にはじまる、鉄道施設の立地です。特に大宮工場の存在は大きく、開設当時の239名から職員が年々増加し、大正10年(1921)には3,000人を越えました。さらに、大宮機関区(明治29年)、大宮保線区(明治40年)などの施設も開設し、大宮駅の西側には鉄道労働者の住居が広がっていきます。
大宮工場【展示写真5】
また、明治30年代までに東口駅前の整備が進み、旅館、貨物運送店、馬車の発着所、近隣の生産物を集積する問屋など、鉄道交通に関係する商業施設が多くが集まる商店街が、停車場通りなど中山道と駅の間に形成されました。
さらに、原材料、土地、労働力、生糸の輸送路(鉄道)の条件が揃う地として、数多くの製糸工場が大宮周辺に参入しました。製糸工場はそれぞれ数百名の従業員を抱え、鉄道沿線の関東信越各地から工女を集めて生産を行いました。
これらに対応するように、町の人口も明治28年(1895)の3,288人が3年後には倍増して6,600人を超え、大正10年(1921)には2万人に迫っていきます。大正5年(1916)の『埼玉県統計書』によると大宮町の人口17,721人のうち大宮が本籍の人は8,302人で、つまり人口の半分は仕事などのために他所から移り住んできた人と捉えることができます。
大正15年(1926)の大宮駅前商店等の広告【展示資料73】
こうしたことから、明治時代以降の大宮の町の発展は鉄道の影響を大きく受けてきたといえ、大宮は「鉄道のまち」となっていったのです。
昭和以降については、第4回で触れたいと思います。
令和7年8月20日 真もんじろう
企画展「名所 大宮」みどころ紹介① 鳥瞰図をみてみよう |
令和7年8月31日(日)まで、大宮駅開業・大宮公園開園140年企画展「名所 大宮―鉄道のまち・公園のまち―」を開催中です。
酷暑のなかではありますが、連日多くの方に御観覧いただき、ありがとうございます。今回から数回にわけ、企画展のポイントを解説します。
今回はまず、イントロダクションとして季節展示室に展示している昭和9年(1934)の大宮の町を描いた鳥瞰図のタペストリーを取り上げたいと思います。
この鳥瞰図は本展のポスターなどにも掲載しているもので、91年前の大宮のまちの様子が細かいところまでわかります。本図の前でじっくり時間をかけて眺めている人も多い印象です。昔はこんなところがあったんだ、という気づきがひとつでもあれば嬉しいなと思って作成しました。
本図を手掛けたのは大正~昭和時代に活躍した鳥瞰図絵師 吉田初三郎です。同時期、国内では交通機関の発達や観光地の整備により観光ブームが起き、初三郎の鳥瞰図は観光マップとして大流行しました。大宮の町を描いた初三郎の鳥瞰図が作成されているということは、当時=昭和初期には、大宮も観光地だったのでは?というのが本展のテーマのひとつになっています。
それでは、本図に描かれた昭和初期の大宮のスポットを具体的に見てみましょう。
本図の中央部にある「国立大宮種鶏場」。気になる方も多いようで、どんなところだったのかとよく質問されています。国立大宮種鶏場は、鶏の飼育、改良、養殖、雛や卵の配布、養鶏指導などを行なう農林省の施設で、昭和3年(1928)に設立されました。戦後、大宮種畜牧場と改称し、昭和40年(1965)までこの地に存在したようです。現在、跡地には国立研究開発法人農業・食品産業技術総合研究機構の施設があり、種鶏場の庁舎の一部が残されています。また、西武大宮線(昭和15年廃線)では大成駅と並木駅の間に「種鶏場前」という駅もありました。
種鶏場の隣には昭和14年(1939)に陸軍造兵廠の光学工場が移転して大宮製造所が設立され、昭和32年(1957)に陸上自衛隊大宮駐屯地が開設しています。
ちなみにですが、盆栽村の北(右)側には埼玉県立の種畜場も描かれています。こちらは国立種鶏場と同じ昭和3年に開設された県の畜産試験場で、昭和23年(1948)に熊谷に移転し、跡地には家禽普及指導所が設置されました(昭和38年廃止)。
こうした施設の存在は、大宮周辺地域で畜産が行われていたことを示しています。日露戦争以後、大宮周辺では人口増加を続ける東京へ向けた蔬菜生産や養蚕、畜産が労働者の副業生産として盛んでした。
同様によく話題に上がるのが荒川沿いの「錦乃原の桜草」です。戦前、このあたりは桜草の自生地として知られ、「大野原」などと呼ばれていたそうです。昭和8年(1933)に著名なジャーナリストである徳富蘇峰がこの地を訪れ、「錦乃原」と命名しました。翌年、桜草が天然記念物に指定され、地元馬宮村では保勝会を設立して桜草の保護と名所としての宣伝に努めました。しかし、戦後、農地開発によって麦畑となり、桜草は姿を消したといいます。
意外と知られていないのが「大宮競馬場」です。大宮競馬場は、昭和6年(1931)に現在のステラタウン周辺に開設された埼玉地方競馬の競馬場です。エキチカで交通の便が良い大宮競馬場は非常に賑わったようで、昭和10年(1935)には全国2位の売上げも記録しています。野球場や競輪場、サッカー場などができる以前の大宮といえば、競馬のまちでした。
しかし、戦時下で軍需の高まりに対応するという軍部の意向により、大宮競馬場は昭和17年(1942)に廃止されて移転し、跡地に中島飛行機製作所の工場ができました。
競馬場の運営母体であった埼玉県畜産組合連合会の碑が現在もさいたま市北区役所の駐車場付近に残っており、また、北大宮駅近くには競馬場の名残を感じさせる「乗馬踏切」という踏切もあります。
もっと細かいところに注目すると、パンタグラフのある鉄道が走っています。この東京方面の電車は、昭和7年(1932)に大宮までつながった京浜東北線です。すでに西武大宮線(廃線)、総武鉄道(現東武アーバンパークライン)では電車が走っていましたが、東京方面(高崎線、東北線)はこれまで汽車であり、電車が通ったことで東京方面のアクセスがとてもよくなりました。大宮より北の線路には汽車が描かれているのもポイントです。
また、自動車も複数描かれています。一般に、自動車は第一次世界大戦後に急速に普及したといわれています。鉄道交通の中心地である大宮駅と岩槻、粕壁、原市など各地と結ぶ乗合自動車(現在のバスのようなイメージ)も数多く運行されました。大宮駅西口側を南北に走る太い道路は、昭和6年(1931)前後に改良舗装された新国道(現国道17号線)です。
このように、本図の見どころはたくさんあります。
特に、本図の作成された昭和初期に大宮に登場した当時最新のスポットを中心に描かれており、それらを紹介する意図で作られたことが想像できます。じっくり眺めて、昭和初期の大宮のまちなみを楽しんでみてください。
また、エントランスホールでは同時代の別の大宮の観光地図をタペストリーにしています。こちらもあわせて注目してみてください。
令和7年8月20日 真もんじろう
手先が不器用でもご安心!!ものづくり工房「体験メニュー」 |
私のペンネーム、「ハリウッド☆バッタ師匠」。「ハリウッド☆」は特に意味はありませんが(ないんかい!)、「バッタ師匠」はそれなりに由緒(?)がありまして・・・。
今から20年以上も前、とある教育機関に勤務していた時に、利用者の御隠居さんから「草編みバッタを作ってみないか?」と持ち掛けられました。
(草編みバッタ)
初めは「バッタですか?編むんですか?」と思いました。もともと手先が不器用で幼少期は親が心配するほどだった私としては、編み物など無理に違いないと当初は丁重に断っていました。しかし、何度も誘われているうちに、半ば強引に「草編みバッタ」を作らされるようになりました。
とはいえ、とっても不器用な人間が作るものですから、初めのうちは御隠居さんから「君のは肥満バッタだね」などと悪態をつかれて笑われていたものですが(御隠居さん、人はいいのですが、少々口が悪い)、幾度かチャレンジしているうちに面白くなって、だんだん形になるようになり、ついに御隠居さんから「君はこれから『バッタ師匠』を名乗るといい」と「免許皆伝」をいただくことになりました。
いったいいかなる権威の「バッタ師匠」だか、正直20年以上経った今でもサッパリわかりませんが、腕が落ちないようにと御隠居さんから材料を渡されてしごかれていました。そのうち御隠居さんに連れられて、市民祭りや小学校に出向いて草編みバッタの作り方を教えるようにもなりました。
この草編みバッタを作っていると、雑念が入らずに集中できるんです。あっという間に時間が経っちゃう。これまで数年レベルでのブランクがありましたが、材料を見つけては草編みバッタを作り続けています。
材料は「唐ジュロ」という木の新芽を使います。雑木林や民家などでもよく見かけるどこにでもある植物です。探してみると、れきみんの敷地にも何本か生えています。編み込むときに使う道具はハサミと画鋲だけ。
(唐ジュロの木) | (唐ジュロの新芽) |
新芽を縦に割いて、織り込んで、画鋲とハサミを使って形を作っていきます。
1つ作るのにだいたい5分程度。小学校低学年のお子さんも作ることができます。
作った草編みバッタを置いておくと、初めてご覧になる方はびっくりされます。本物か?!と驚かれるのがこの草編みバッタの醍醐味。
教えてくださった御隠居は、もともと中国の民芸品だったかな、とおっしゃっていましたが、定かではありません。他にも草編みバッタを作る方がいて、時々新聞記事になっていたりしていました。バッタ仲間ですね。
どんな権威やら、どんな免許やらわかりませんが、御隠居さんから「バッタ師匠を名乗っていい」というので、他にロクな称号がないので、勝手に「バッタ師匠」を名乗っています。
そのバッタを教えていただいた自称「健康優良爺」の御隠居さんでしたが、一昨年鬼籍に入られました。草編みバッタを作りつつ、お付き合いを始めてから20年余りの間、公私とも様々御指導をいただいた御隠居さんを草編みバッタを作りつつしのんでおります。
手先を使うことは、お子さんの発達からご高齢の方の指先の感覚維持まで効果がありますね。
さて、れきみんには「ものづくり工房」があり、藍染めハンカチづくり、まが玉づくり、江戸組紐ストラップづくり、ミニ絵巻物づくりなどの「体験メニュー」があります。 (※草編みバッタはやっていません)
(ものづくり工房体験メニュー例)
ちょっと敷居が高いかな?などと気後れしている方も、細かい作業は苦手だなというかたも、ご安心を!!ボランティアさんがやさしく指導してくれます。「高い敷居」の向こうには、夢中になるほどの趣味の世界が広がるかもしれませんよ。
お子さんがおいでのご家庭ならば、お子さんと御一緒にいかがでしょうか。集中力がつきますし、お子さんの新たな興味・関心が芽生えるかもしれません。夏休みの宿題にお困りの方もぜひ!!
大人の方も新たな楽しみに出会えるかもしれませんね。
手先が不器用な私ことバッタ師匠も、組紐に夢中になってしまいました。十分楽しめますし、組紐体験をしている途中に集中して、あっという間に「無」の世界に。日頃のあれやこれやの雑念が消えてとてもさわやかな体験でした。手先の感覚を研ぎ澄ますばかりでなく、心をも澄ます境地も味わえるかも?!
(組紐ストラップ)
写真は私が編んだ組紐ストラップです。初心者の、私のように親から不器用だと思われ続けた人でも、ご指導をいただきながら編めばこのとおりできますよ。
ものづくり体験の詳細はこちらから確認できます。ぜひ体験にいらしてください♪
令和7年8月13日 ハリウッド☆バッタ師匠
『考古特集展示はじめました』 |
7月14日(火)より、考古特集展示「縄文人と豊かな植物資源」がはじまりました。
今回のテーマは、タイトルどおり「植物資源」。その中でも特に食料としての植物資源に注目した展示です。
赤山陣屋跡遺跡(川口市)と小林八束1遺跡(久喜市)の、2つの遺跡を取り上げました。
赤山陣屋跡遺跡は、「トチの実加工場跡」が見つかったことで非常に有名な遺跡です。
ちなみにトチの実とはトチノキの実のことです。どんな木の実かというと、常設展示室1室のこちらのケースにご注目。
このケース中央の、石皿の下に敷いてある木の実。こちらがトチの実です。
このケースの、
ここに敷いてある木の実の、
上半分が焦げ茶色のものです。
見た目はクリのようで、いかにも食べられそうな雰囲気をしています……が、クリのように簡単には食べられません。
トチの実にはサポニンという成分が含まれています。サポニンはムクロジやサイカチという植物にも多く含まれている成分で、石鹸と同じような界面活性作用があり、油汚れなどを落とすときに重宝します。
つまり、生のトチの実を食べるということは、石鹸を食べているのと同じということですね。
私は小学生の頃にドングリやトチの実を拾って遊んだことがありまが、大粒なうえ、たくさん落ちていて拾い放題だったと思われるトチの実ををアク抜きして食べられるように加工できたとすれば、良い食料源になったことでしょう。実際、縄文時代の人々はトチの実をさかんに食べていたことが分かっており、赤山陣屋跡遺跡でもトチの実の殻を捨てた貝塚ならぬ「トチ塚」が発掘されています。こちらは写真パネルを展示していますので、併せてご覧ください。
ちなみにトチの実は後世でも救荒食として利用されていたようで、トチの実を使ったお菓子などが今でも売られていたりします。
閑話休題。
向かって左側のケースには、小林八束1遺跡から出土した資料を展示しています。
さきたま史跡の博物館で令和4年度に開催していた考古おひろめ展「地中からのメッセージ」でも注目されていた資料「きのこ形土製品」を展示しています。
かわいいですね。
(「よく考えたらきのこは植物じゃないじゃん、菌類じゃん……」と
どうでもいい部分で悩みつつ展示しました)
「思ったよりも小さかった」などの声もありましたが、そもそもきのこは小さいもの。この小ささが、逆に写実的だと思いませんか?
今回はきのこの軸側を手前に向けています。裂け目が表現されている箇所もよく見えるように展示していますので、よくご覧になってみてください。
縄文人もきのこを食べていたことと思いますが、なぜきのこの土製品を作ろうと思ったのでしょうか。たくさん採れるように?それとも、毒きのこにあたらないように……?謎は尽きません。
このほかにも石皿と磨石を模した土製品や、完形の脚付石皿など珍しい資料を展示しています。会期は1年間と長いので、ぜひじっくりとお楽しみください。
令和7年8月7日 遺跡ほりほり
令和7年度の博物館実習を行いました |
学芸員の資格取得のためには、「博物館実習」を受けることが必須です。
当館では例年、実習生を受け入れており、今年度は23大学37名の学生さんが実習に参加しました。
今回のブログでは、今年度の博物館実習の内容について、担当者目線から簡単にご紹介します。
当館のカリキュラムは、館内の各担当の業務についての講義や実習、各分野の資料取扱い実習、模擬展示実習と大きく3つに分かれます。
①各担当の業務についての講義や実習
当館には総務担当、施設担当、企画・学習支援担当、特別展示・広報担当、常設展示・資料担当があります。
博物館の仕事は、学芸員だけでは成り立ちません。例えば展覧会を開催するにしても、ポスターや図録を作る業者との契約は総務担当が行いますし、照明や空調など環境管理は施設担当が行います。そのほかにも清掃スタッフの方や展示・体験のボランティアさんのおかげで来館者の方々を日々お迎えすることができています。実習生にはまず、博物館で働くさまざまなスタッフについて学んでもらいました。
(施設見学の様子) | (事業の説明) |
また、企画・学習支援担当により、ゆめ・体験ひろば(ものづくり工房)で実施している体験メニューから、まが玉づくりと藍染めハンカチ作りを体験してもらいました。まが玉づくりを体験したことがある実習生も多かったようですが、体験を提供する側の工夫や難しさを知る良い機会となったことでしょう。
(まが玉づくりの説明を聞く様子) | (藍染めハンカチ作り) |
常設展示・資料担当による実習では、資料の保存管理に関する業務に参加してもらいました。まずはじめに、収蔵庫内の資料の状態確認と清掃を行いました。また、資料の保存管理に関する講義を受けた後、館内に設置している捕虫トラップを班ごとに回収し、捕獲された虫類について種類の同定と集計を行いました。展示などと比べると目立たず地味な仕事と思われがちですが、貴重な文化財を所蔵する博物館の要と言っていい大切な仕事です。
(収蔵庫内で資料の状態確認) | (捕虫トラップを確認) |
②資料の取り扱い実習
当館には歴史、美術、民俗、考古の各分野の学芸員がいます。それぞれの資料の取り扱いについての実習を行いました。
「資料を丁寧に扱うこと」は、どの資料にも共通する取扱いの基本ですが、資料の形態や素材、付属品などは千差万別です。実習ではそれぞれの専門の学芸員から取り扱い方法や調書の書き方、梱包の仕方などを学んでもらいました。実習生も歴史、美術、民俗、考古と大学で学んでいる専門があり、自分の専門ではない分野の資料は初めて触れる、という人ばかりでした。学芸員の指導の下、真剣に取り組んでいました。
(掛け軸の取り扱いを学ぶ様子) | (土器の梱包に取り組む様子) | |
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(民具の取り扱いを学ぶ様子) |
③模擬展示
①②の実習を踏まえて、実際に博物館資料の展示を行いました。
浮世絵、民具、絵図、文書、土器と資料ごとに班分けし、多くの実習生が自分の専門ではない資料の展示を担当しました。それぞれ補助役の学芸員に見守られながら、自由な発想で展示を企画しました。学芸員の仕事の中で一番、皆さんが想像しやすいのが展示だと思います。実際に取り組んでみて、パネルの文字の大きさやフリガナを振る頻度をどうするかなかなか決まらなかったり、一つ一つ測りながらパネルや資料を設置する飾りつけ作業に時間がかかったりと、苦心していたようです。一日半という時間や資料に制限があるなかで、立派に展示の形を作ってくれました。
(展示内容について話し合う様子) | (展示作業を行う様子) | |
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(展示の発表会) |
大学の博物館学の授業で学び、知識としては知っていたことも多かったと思いますが、実際に取り組んでみて感じた難しさや気づきがあったことでしょう。
博物館に就職して晴れて学芸員になったとしても、自分の専門の資料ばかりを扱うとは限りません。いつかこの実習がお役に立てれば担当冥利につきます。
令和7年7月23日 博物館実習担当あかべこ
大宮展ついに開幕!-裏ではこんなことやっていました- |
みなさんは、「大宮」と聞いて何を思い浮かべますか?
鉄道のまち?大宮公園?歴史ある氷川神社?
7月12日(土)から始まった企画展「名所 大宮―鉄道のまち・公園のまち―」では、さまざまな魅力を持つ大宮の歩みを資料や写真などで振り返っています。
展示会を開催するまでには、
展示や関連イベント等の企画立案、展示資料の調査・選定、ポスター・チラシや図録などの刊行物の作成、展示室の配置などの設計図の作成、キャプションの作成、資料の借用、展示ケース等の設置、資料の展示作業などなど・・・
書ききれないほど多くの準備・作業が必要となってきます。
今回のブログでは、企画展開催までの歩みについても写真とともに振り返りたいと思います
≪まずは調査・調査・調査!≫
展示の準備は、まず徹底的な調査から始まります。
資料はただデータ等で確認するだけではなく、現地調査を行うことも大切な作業のひとつです。
展示会によっては遠方の県まで行くこともありますが、今回は地元・大宮に関する展示ということで、担当者はうだるような暑さのなか自転車で調査に走り回ったなんて日も・・・。
(心なしか少し赤くなって帰ってきていた気がします。)
(氷川神社 一の鳥居) |
(お女郎地蔵 火の玉不動) | |
(D1229 蒸気機関車) | (白井助七翁之像) |
≪どう見せよう?設計図作り≫
資料調査などと並行して行われるのが「展示の設計」です。
展示室全体の配置を決めていく作業はまるでパズルを組み立てていくようなもの。
展示の構成やストーリーに合わせて、観覧者の動線、展示ケースの選定・配置、資料の配置、照明など全体のレイアウトについて「どうしたら来場者にわかりやすく、楽しんでもらえるか?」ということを考えながら設計図を作成していきます
モザイク付きですが、設計図(イメージ)がこちら!
今回は、展示室に入ったときに空間が広く感じるよう意識をしてケースを配置しているので、そこにも注目してみてください!
≪みんなに伝われ~!≫
展覧会をより多くの方に知ってもらうためには、チラシやポスターのデザインも重要となってきます。
今回のポスターとチラシは、パッと目を引く鮮やかなオレンジ色になりました。
大宮をイメージしたこの色、担当内ではひそかに「大宮ナポリタン色」なんて呼ばれていました
ところで、みなさん大宮ナポリタンの定義はご存知ですか?
「大宮ナポリタン会」によると①旧大宮市内に店舗があり、②埼玉県産の野菜を1種類以上使用していること、が条件だそうです。(意外とやさしい条件?笑)そんな話をしていたら、担当内では空前のナポリタン食べたいブームが発生・・・つられてその日の夕食は迷わずナポリタンになんてこともありました。
展示会場を出たところには『大宮ナポリタンMAP』も置かれています。
展示を楽しんだ帰り道、MAPを参考に地元グルメを味わってみてはいかがでしょうか?
≪いざ!展示作業≫
いよいよ展示作業に突入!
印刷した展示パネルやキャプション切って、切って、切って・・・(続)
今回は古い写真だけで50点も展示をするため、いつもよりパネルが多かったです
(企画展担当者は当初この倍の写真を展示したかったそうです笑)
完成したパネルやキャプションなどとともに、実際に展示資料を配置していきます。資料を傷つけないように細心の注意を払いながら、一つひとつ丁寧に配置していくことが何よりも大切な作業です。
展示資料もただただ置いているのではなく、実は隠れた細かい工夫がされていたりします!
例えば、本などを開いて展示する際はこの写真のように、下に支えを入れたり・・・
薄い紙資料は見やすいように資料の下に中性紙や色のついた板を置いたり・・・
平面に置かれたキャプションも、置かれている位置によって微妙に角度を変えていたり・・・
このように“資料に負担のかからないように、観覧者が見やすいように”ということを考えながら、ミリ単位の調整を何度も行います。
そうした地道な作業を重ね、配置完了!このあとも細かいライティングの調整や最終確認を行い、ついに完成です。
普段みなさんにご覧いただくのは完成した展示室ですが、裏ではこんなことをやっています!
そんな裏側も少しだけ感じつつ、展示を見ていただくとまた違う楽しみ方ができるかもしれません。
≪グッズのご紹介≫
グッズ①ブックレット
企画展の内容をぎゅっと詰め込んだブックレットです。
最終ページには今回の目玉資料のひとつでもある、「大宮鳥瞰図」も掲載しています。ぜひお家でもじっくり眺めてみてください。
令和7年7月発行 40ページ A5版、販売価格:700円
グッズ②サコッシュ
当館グッズで初めてサコッシュを作ってみました!
前川國男の設計による当館の建築立面図が描かれた特別デザイン。
シンプルで普段使いもしやすそうです。
表裏両面にポケット、500mlペットボトルも持ち運ぶことができ、まち歩きやちょっとしたお出かけにぴったりな一品です
薄手の素材なので、折りたたんでバッグの中に入れておく、なんてこともできます
サイズ:170mm×225mm(ショルダー長さ1150mm)、販売価格:600円
こちらのグッズは館内のミュージアムショップのほか、通販でもお買い求めいただけますので、ぜひチェックしてみてください♪
※通販についてはこちら
≪ぜひ展示会場へ!≫
こうして、調査から準備、設営、そしてグッズ制作まで、多くの工程を経て完成した企画展「名所 大宮ー鉄道のまち・公園のまちー」。
大宮にゆかりのある方はもちろん、歴史や鉄道、公園に興味のある方もきっと楽しんでいただける内容です。
みなさまのご来館を心よりお待ちしております。
【展示情報】
企画展「名所 大宮―鉄道のまち・公園のまち―」
会期:令和7年7月12日(土)~8月31日(日)
時間:9:00~17:00(観覧受付は16:30まで)
令和7年7月15日 ひのとり
知れば知るほど奥深い・・・前川建築ツアー開催! |
埼玉県立歴史と民俗の博物館といえば・・・その名のとおり旧石器時代からの歴史や民俗の貴重な資料を展示する常設展示室や魅力ある特別展・企画展のほか、藍染めハンカチや江戸組紐などの体験ができる「ものづくり工房」、ちょっと懐かしい昭和を感じる「自由自在座」や「昭和の原っぱ」など魅力満載ですが、実は、建築自体も見どころいっぱいで、ファンが多いんです
埼玉県立歴史と民俗の博物館(開館(1971年)当時は「埼玉県立博物館」)の設計者・前川國男氏(1905~1986年)は、東京上野の国立西洋美術館を設計したル・コルビュジエに学んだ、日本のモダニズム建築をけん引した建築家で、東京文化会館(1961年)、国立国会図書館(1961年)、東京都美術館(1975年)など多数の建築物の設計を行い、埼玉県内ではさいたま市浦和区の埼玉会館(1966年)、長瀞町の埼玉県立自然の博物館(1981年)などの設計をしています。
【中庭からみた、歴史と民俗の博物館玄関】
先日6月14日(土)に、同じ前川國男氏が設計した埼玉会館を運営する埼玉県芸術文化振興財団の主催で、ボランティアガイド「前川國男を知ろう!彩の国探検隊」のみなさんのガイドによる「埼玉県立歴史と民俗の博物館 建築見学ツアー」が開催されました
【建築見学ツアーチラシ】
当館の開館当時の貴重な映像の上映や全体での施設の説明の後、4班に分かれて館内・館外の建築をご覧いただきました。ガイドされた探検隊のみなさんは、知識がとても豊富で、設計に当たっての前川國男氏の哲学、デザインのこだわり、建築方法の斬新さなど、前川建築の奥深さや面白さを説明されていました。
ガイドをされた探検隊のみなさんは、実際に前川國男氏が設計した建築物を各地でご覧になり、前川建築のことをよくご存じで、「前川國男ファン」というだけでなく、いわば「前川國男愛(LOVE!!)」が強くて、その情熱の凄さについつい引き込まれて(というより圧倒されました!)、前川建築についてもっと知りたい!と思いました(もう、情熱が止まらない!!)。
【見学ツアー風景(常設展示室前)】 | 【見学ツアー風景(エントランス)】 |
当日はあいにくの雨でしたが、ガイドをされた探検隊のみなさんによると「雨が降った方がタイルの風合いが出て、むしろいいんですよ!」とのこと。屋外では傘をさしての見学ツアーではありましたが、かえって良かったかもしれませんね。
【見学ツアー風景(テラス)】 | 【見学ツアー風景(玄関脇)】 |
今回のツアーは定員30人と限られておりましたので、希望したのにご参加いただけなかった方がかなりの数おいでになったとうかがっております。
次回の開催は未定ですが、今回応募されてご参加いただけなかった方にも、新たに興味を持って参加したいという方にも、次回開催をお待ちくださればと思います。
「そんなに待てない!」という方は、埼玉会館の建築見学ツアー(今年度は6回)が開催されていますので、是非ご応募ください!
(参考)埼玉会館 お知らせ
https://www.saf.or.jp/saitama/information/detail/94988/
なお、当館においでの際には、「前川建築コーナー」も是非ご覧ください。
(参考)埼玉県立歴史と民俗の博物館ホームページ 施設紹介
https://saitama-rekimin.spec.ed.jp/shisetsu-syoukai
【当館エントランスの前川建築コーナー】 | 【れきみんの建築模型】 |
【外壁タイルの説明もあります】
【建築物としての歴史と民俗の博物館説明】
令和7年7月3日(木) ハリウッド☆バッタ師匠
消毒休館を終え、三つの特集展示が始まりました! |
皆さん、こんにちは
先日、6月2日(月)から6月9日(月)まで、当館は殺虫消毒のためお休みしていました。
この間、博物館の大切な資料を守ることを目的に、虫を寄せ付けない「忌避剤」を展示室や収蔵庫に撒きました。
そのため、普段皆さんにご覧いただいている常設展示の資料を一時的に撤収し、忌避剤を撒いた後にまた元の場所に戻すという作業を行いました。
この作業がなかなか大変で、実は休館中も職員はほとんど毎日頑張って働いていました!
昨年度のブログでも消毒休館について詳しく解説していますので、そちらもご覧ください。
(展示復旧で土器のテグスをかける当館職員)
・・・さて、殺虫消毒休館を終え、当館常設展示では、三つの特集展示がはじまりました。今回はその見どころを紹介します
【第4室 「亀のまにまに」】
一見地味な存在である亀にフォーカスして様々な美術品を紹介します。
注目されることの少ない亀ですが、不老長寿のイメージともあいまって美術の題材として古くから好まれました。
この特集では、そんな美術界の縁の下の力持ち、亀の魅力をぜひ発見してみてください。
埼玉県指定文化財「葛飾北斎筆 鯉亀図」(7月15日(火)~8月17日(日))や、とりどりの銘仙も登場します!
※会期中展示替があります。画像の銘仙は7月27日(日)まで。
【第9室 「タイムスリップ1925」】
令和7年(2025)は、元号でいうと「昭和100年」の年にあたります。
では100年前、昭和がはじまるころの日本、埼玉はどんな様子だったのでしょうか。
この特集展示は、当館が所蔵している資料を通して、1925年の日本、そして埼玉の様子を4つの視点(政治・社会・世界・埼玉)から見てみようとするものです。
普通選挙法と治安維持法、ラジオ放送の始まり、日米人形交流事業、そしてファシズムの台頭…こうしたトピックを並べてみると、1925は、日本・世界ともに、激動の時代が、幕を開けようとしていたということがわかります。
最近も、世界全体で大きな時代の変化を感じることが多い気がします。
今回の展示を通して、過去の出来事を振り返ることで、現代社会が抱える様々な問題についても考えるきっかけになれば幸いです。
【第10室 「藍の型染め」
豊かな清流に恵まれ、古くから養蚕や綿作が行われてきた埼玉県では、長板中型・注染・武州正藍染・熊谷染などの染め、飯能大島紬・秩父銘仙・本庄織物などの織りといった、さまざまな染織産業が発展してきました。
民俗コラム展示の見どころは、なんといってもそのタイトルにある「型染め」!
「藍の型染め」であることがポイントです。
三郷市や八潮市周辺には、「長板中型(形)」と呼ばれる浴衣の生地を型染めする技術が伝えられています。
長い板に生地を貼付け、同じ型を使って生地の両面に糊をつけて藍甕に浸すことで、表裏の模様が重なり、紺と白のくっきりとしたコントラストに染まることが特徴です。
その技は県の無形文化財に指定されており、現在も職人たちによって継承されています。
今回の展示では、紺と白のコントラストが粋な長板中型(反物・製品)とあわせて、様々な種類の小さな刃物で模様が切り抜かれた型紙や、生地に糊をつけるときに使用する道具もご紹介しています。
ぜひ、型染めの技に使われた道具にご注目ください。
見た目にも涼しい一点を、この機会にぜひご覧くださいませ
※会期中展示替があります。画像の浴衣は8月17日(日)まで。
ちなみに…
このブログを読んでいる方の中には、当館ものづくり工房で藍染めハンカチを作ったことがある方もいらっしゃるのではないでしょうか。
実は通常体験メニューの藍染めハンカチとは別に、特別体験メニューでは「型染め」のミニトートバッグ作りができるのです。
人気の体験でもあり、残念ながら今年度の募集は終了してしまいましたが、型染めに興味のある方は体験してみてはいかがでしょうか
今回は以上です。
関東地方は、梅雨入りはどうした!?という感じの暑い日が続きますね。
あまりに暑いと、外でアウトドアを楽しむのも難しいですよね。
そんな時は、ぜひ博物館へ!
静かで涼しい館内で、歴史や文化に触れて、心も体もリフレッシュしませんか?
皆様のご来館を心よりお待ちしております!
令和7年6月24日(火)みゃくみゃくだいすき倶楽部
腹ペコさんもマニアの方も思わずよだれが・・・ミュージアム・ショップ |
れきみんの玄関を入り、正面の受付に向かって左側には常設展示室がありますが、右側、ゆめ・体験ひろば側の展示室手前の階段を上った先に、ミュージアム・ショップ「cafe’Patio(カフェ パティオ)」と休憩コーナーがあります。
(手前階段を上るとショップがあります) | (ショップと休憩コーナー) |
階段を上ってみると、たくさんのテーブルの向こうにメニューやグッズが並んでいます。まずは食べ物。メニューを見てみると、カレーライスやナポリタン、うどんにおでんのほかに、コーヒー、ソフトクリーム・・・おや!COEDOビールもありますよ!温かいものから冷たいものまで食べ物やドリンクが充実していますね。何食べようか迷うなあ。思わずよだれが・・・。
(メニューは豊富です!) | (公園の木々が見える開放的な空間) |
れきみんのミュージアム・ショップは屋内にありますが、窓が大きく開放的で、まるで公園の森の中にいるような気分に。テーブルや椅子があって、ゆっくり食事や休憩ができます!
展示観覧のあとや、公園散策の途中でも気軽に立ち寄ることができますね。これなら、雨の日でも安心。暑いとき、寒いときでもエアコンが効いてほっと一息できます。都会の喧騒を離れて、なんだかちょっと贅沢な気分。飲み物の自販機もありますし、外から飲み物や食べ物を持ち込むこともできますよ。
(ビーフカレーを食べてみました!) | (大宮公園から入ることもできます) |
魅力はこれだけではありません!ミュージアム・ショップならではのグッズも販売されています。 れきみんらしい、歴史関係のさまざまな書籍やクリアファイル、万年暦、トランプもあります。歴史を学びたいお子様から大人も満足なグッズが盛りだくさん!
前に開催された展覧会の図録も販売されていますよ。ここでしか手に入らないれきみんオリジナルのクリアファイル、絵葉書やアクリルキーホルダーのほか、ショップ独自のかわいいグッズもあります。
他ではなかなか手に入らないグッズですか・・・歴史と文具マニアの私ことバッタ師匠、ここでも思わず今日2度目のよだれが・・・。
(クリアファイルなどグッズも豊富!) |
(歴史を学べるグッズにも注目です) |
(オリジナルグッズもありますよ) | (深く学びたい方には図録もあります) |
なお、お支払いは現金のみです。おいでの際には現金をお忘れなく!
魅力いっぱいのミュージアム・ショップ。魅力ある展示の観覧や公園での散策の際にもぜひお立ち寄りください!!
令和7年5月30日(金)ハリウッド☆バッタ師匠
ミュージアム・ショップ「cafe’Patio(カフェ パティオ)」
営業時間:月曜定休(祝日を除く)10:30~16:00(ラストオーダーは15:30)
※博物館開館日に営業。博物館の開館カレンダーをご覧ください。
メニュー:こちらからご確認いただけます(埼玉県立歴史と民俗の博物館HP)
団体予約:2週間前までに団体名・日時・人数・食事の種類を連絡。
連絡先:埼玉県立歴史と民俗の博物館 048-641-0890
※ショップの営業時間に御連絡ください。
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―博物館子どもまつり―たくさんのご来場、ありがとうございました。 |
5月5日(月)こどもの日、「博物館子どもまつり」を開催しました。
快晴となり、当館の「ゆめ・体験ひろば」には、延べ225名の皆様が来場されました。
【射的遊び】、【兜をかぶろう】、【館内クイズラリー】を行い、いつにも増して「昭和の原っぱ」は賑わいました。
ご来場ありがとうございました。
【射的遊び】では、157名のこどもたちが遊んでくれました。「やったー!」と歓ぶ声や景品のディスプレイを見つめる子のきらきらした瞳を目の当たりにして、大成功だと喜んでおりました
運営を支えてくださった講師の皆様のお力添えのおかげです。ありがとうございました。
【兜をかぶろう】では、「こどもの日」に合わせ、兜、陣羽織の着装体験をできるようにしました。
ご家族で記念写真を撮られる様子をたくさん拝見しましたご利用ありがとうございました。
【館内クイズラリー】では、参加してくださった方にはオリジナル缶バッジ(全5種)を1つプレゼントしました。どの方も、館内の「ゆめ・体験ひろば」をよく観察してくださりうれしい限りでした
この日、ご来館くださった皆様に加えて、多くの体験学習ボランティアの方々の応援がありました。
「博物館こどもまつり」に限らず、普段から「ゆめ・体験ひろば」には欠かせない存在です。
「ものづくり工房」へいらした際には、体験とともに体験学習ボランティアの方の存在にも目を向けていただければ幸いです。
令和7年5月17日(土)大宮公園の真鯉
特別展「はたらく装いのフォークロア」 ここに注目! |
現在開催中の特別展では、人々がはたらく際に身に着けた衣服や用具についてご紹介しています。
展示資料には、たくさんの「実用的な工夫」や「さりげない美意識」が隠されています。
ここでは、みなさまにぜひ注目してほしいポイントをご紹介します!
【注目ポイント①】刺子の実用性と美
写真の資料「サキオリソデナシ」(神奈川大学日本常民文化研究所蔵)は、そりをひくときなどに重ね着した山形県庄内地方の防寒着です。
右肩から左脇にかけて、刺子(さしこ)を施した布がつけられています。
そりの引き綱が当たり擦り切れやすい部分を補強する意味がありますが、刺子の美しさも目を引きます。実用性と美を兼ね備えた資料です。
刺子の図案は、「柿の花」と呼ばれるものです。
(左)サキオリソデナシ 全体図(神奈川大学日本常民文化研究所蔵)
(右)サキオリソデナシ 刺子拡大図(神奈川大学日本常民文化研究所蔵)
【注目ポイント②】染め布の組み合わせ
かつて布は貴重なものだったため、衣服の一部分が傷んでも、繕(つくろ)ったり他の布と継ぎ合わせたりして長く使いました。
写真の資料「ジュバン」(当館蔵)は、袖と胴とで異なる柄の布が使用されています。
袖の部分には、糸を染めてから織る先染(さきぞめ)の布が、胴の部分には、布を織ってから染める後染(あとぞめ)の布が、それぞれ使用されています。
作った人や着用した人の、工夫と美意識を感じますね。
(上)ジュバン 全体図(当館蔵)
(左下)ジュバン 袖の拡大図(当館蔵)
(右下)ジュバン 胴の拡大図(当館蔵)
【注目ポイント③】祝着に込められた祈り
房総半島には、稀にみる豊漁の年に、網元や船主が漁期の最後に関係者を集めて大漁祝いを行う習俗があります。
その宴席や、宴席で引出物として配られる祝着の反物は、万祝(マイワイ、マンイワイ)と呼ばれます。
羽織に仕立てられた万祝着は、仕事始めや仕事納めに船の仲間とそろって寺社に参拝する時に、着用されました。
写真の資料「万祝着 鰹漁」(館山市立博物館蔵)を見ると、「大漁」の文字や、「年々歳々」の吹き流しをくわえた鶴、カツオの大群、「鰹漁」の吹き流しをくわえた亀など、たくさんのめでたいものが華やかに描かれています。
万祝着には、その年の大漁を祝う気持ちとともに、これからの大漁を祈る気持ちが込められています。
(上)万祝着 鰹漁 全体図(館山市立博物館蔵)
(左下)万祝着 鰹漁 拡大図1(館山市立博物館蔵)
(右下)万祝着 鰹漁 拡大図2(館山市立博物館蔵)
特別展「はたらく装いのフォークロア」は5月6日(火・振休)まで開催しています。
特別展最終日の5月6日(火・振休)には、13:30から、学芸員による展示解説を予定しています。
参加費無料、事前申込は不要です。
詳細はこちらからご覧ください。
特別展 はたらく装いのフォークロア - 埼玉県立歴史と民俗の博物館
みなさまのご来館を心よりお待ちしております!
令和7年5月2日(金) つくし